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複合災害に奪われ学んだ教訓
己を守れ!津波てんでんこ
《娘を探し続け約6年後…》

汚染で今後20年は人が住めない地に築かれた防潮堤の上で解説

 11月1〜2日(土・日)平成23年に発生した東日本大震災について学ぶべく、福島復興支援スタディツアーを実施。仲間17人で、福島第一原発10km圏内を巡りました。
 初日は、当時の状況や複合災害について学ぶため「東京電力廃炉資料館・原子力災害伝承館・請戸小学校」を見学。翌日は、津波で家族3人を失った語り部・木村さんの案内で、帰宅困難区域の大熊町へと足を踏み入れました。
 訪れたのは、木村さんの母校であり、娘の汐凪さんが当日通っていた熊町小学校。高台にあり津波を免れた教室は、地震で物が散乱した当時のままの姿でそこにありました。
 木村さんは静かに語ります。学区にいれば助かったのに「迎えに来たおじいちゃんと共に、おばあちゃんを心配し家に戻ったため、汐凪は流されてしまった」と。震災翌日、避難指示で捜索が打ち切り。その後、立ち入り許可から約6年、見つかったのはマフラーと共に残った小さな首骨だけでした。さらに11年が経ち、ようやく大腿骨を発見できたといいます。自宅の裏山に建てられた慰霊碑、そして遺骨の発見場所にも案内いただき、手を合わせてきました。
 津波被害の多い三陸地方に「津波てんでんこ」という言葉があります。これは「津波が来たら家族も気にせず高台へ逃げろ」という意味。しかし、福島に大津波が到達したのは千年以上前のこと、人々にそんな教訓はありませんでした。
 文章では伝えきれない程に生々しく残る、災害の記憶。皆さんも機会があればぜひ、現地を訪れ、直に感じてほしいと思います。

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